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今年で引退をする4年生の「秋シーズンに懸ける想い」をご紹介致します。
丹羽航大です。
普通に就活の時に書いたマイヒストリーよりもつまらない文章すぎて自分でもびっくりしちゃったので、先に感謝の言葉とみんなへの一言を書きます。
まずジョルさん前さん、菅さん。
1年生の頃から本当にありがとうございました。練習でいつもニコニコしながら話しかけてくださるジョルさん。目が合うと愛のある棘のある言葉を刺してくださる前さん。僕のテーピングを勢いよく剥がそうとしてくださる菅さん。僕がここまで成長できたのはコーチ陣の方々のおかげです。本当にありがとうございます。
両親へ
大学1年生の頃から、忙しい中にもかかわらず、いつも試合を見に来てくれて本当にありがとうございます。試合で良いパフォーマンスを発揮できるよう、さまざまなトレーニングやケアの機会を与えてくれたことに、心から感謝しています。何より、言葉では表しきれないほどの愛情を注いでくれたことが、僕の人生にとって何ものにも代えがたい宝物です。
同期のみんな
本当に、みんなにはたくさん迷惑をかけてしまったし、それでも代の誰よりも僕のために時間を割いてくれて本当にありがとう。アメフトももちろん大好きだけど、それ以上に4年のみんなの存在があったからこそ、ここまで続けてこられたんだと思います。これからも、死ぬまで一緒に飲もうね!
これ以外にも、毎朝部活に遅刻しないように電話で5時に起こしてくれたり、落ち込んだ時に励ましてくれたり、一緒に音楽を共有して元気づけてくれたり、退部しそうな時に引き止めてくれたり、本当にありがとうございました。皆さんの支えがあったからこそ、最後まで頑張り続けることができました。
後輩へ
1年生はあと3年間。2年生はあと2年間。3年生はあと1年間近くあるから、みんな退部とか考えないで頑張ってほしい!あと同期のことは大切に!!
石塚:本当に、病気には気をつけてね。健康第一だよ!
佐々木:雄大が外銀クビになったら、坊主にする覚悟はできてるから、一緒に地面師やろうな。
松本:18年間の仲だけど、高校からの7年間で3回退部しそうになったのも、今ではいい思い出だね!
長谷:寝ようと思ったら、隣の部屋から壁を揺らさないでください。
和田:新しいコミュニティに入るたびに、何かしら目立つアクション起こしてるの、本当に面白いよね。Trルームの件とかさ。
田口:いつもふざけてるけど、実は根が誰よりも真面目なの、ちゃんと知ってるよ。
田村:最近気づいた。田村の浅さに。
森川:いつもお弁当を一口分けてくれてありがとう。地味に助かってる!
沼田:僕の腹痛遅刻は許されないのに、沼田の遅刻が許されるのは、普通にずるい(笑)。
林:本当にチャラい!
玉川:あんまり仲良くない時に「ティラノザウル」っていじったの、ごめんね。今でも反省してます。
ラフィー:なんか、、すごい。
谷口:漢(おとこ)。以上。
澄川:教習所で効果測定手伝ってくれなかったの、普通に悲しかったよ…。
楢原:アメフト入部直後、有線イヤホンつけて短パン履いて、日吉キャンパスをオラついて歩いてた時の楢原、本当にかっこよかった。あの時の楢原に戻ってほしい!
水野:本当に数回しか話したことないけど、きっといい奴だと思う。
水嶋:いつもグラウンドの隅で見せてくれるけど、本当にすごい。感動してる!
桑野:持ち込み可の試験で自分のリアクションペーパーを持ち込んでたの、普通に怖い。
関野:あの時のプレー、今でも鮮明に覚えてる。本当にすごかった!
中村:SCルームに誰よりも居るのに、机が誰よりも綺麗なの謎すぎる。
二宮:せみ君。それ以上でもそれ以下でもない。
佐藤:オフの日に何してるのか、いまだに本当にわからない…。
前田:人格者。
太田:おばあちゃんに撮ってもらった動画が一番好き。
山田:森に生息してそうな雰囲気、マジでわかる。
岩丸:1年の時はヤバい奴だと思ってたけど、今も全然ヤバい奴。
新海:ゼミでも一緒なのに、いつも距離取ってくるの何でなの!?
新貝:際どいけど、新貝マッサージが実は結構好き。癖になる。
朝比奈:何歳になっても、その髪型はずっと続けてほしい。
木内:4年間で2回くらいしか話したことないけど、これからはもっと話したいね!
木村:個性的な服装、毎回注目してたよ。次はどんなスタイル?
横川:合宿で同じ部屋じゃなくて本当に良かった人No.1。
永野:すけべ。
田中:おはよう。
矢山:毎日楽しそうで、見てるこっちも元気もらってる!
笹島:CBだった頃が懐かしいね。あの頃のプレー、覚えてるよ。
藤崎:2年の時、強めに言っちゃったけど、その分今の藤崎の活躍が本当に嬉しい!
行友:普段あんまり話さないけど、変なことだけ楽しそうに話してくれるの最高。
黒澤:犬に似すぎてる。
誰よりもふざけてるやつだと思われてるので、最後ぐらい誰よりも長くて硬い文章を書こうと思います。こんなに文章を書いたのは生まれて初めてです。
今回、大学4年間の部活動について振り返ってみたいと思います。
高校時代、アメリカンフットボール部に所属していましたが、最後の試合で早稲田に敗れたことが今でも忘れられません。その悔しさとやりきれなかった気持ちを胸に、大学1年生の5月に迷わず入部を決意しました。
しかし、大学でのアメフト生活は決して順風満帆ではありませんでした。高校時代はコロナ禍やいろいろな事情で、実際にアメフトに触れた期間が1年ほどしかなかったためです。入部後、先輩やコーチの指導がまるで別世界の言葉のように感じられ、何を言われているのか理解できないことも多かったです。それでも、「高校でやっていた」というだけで「経験者」として扱われることに、戸惑いやプレッシャーを感じたのを今でも鮮明に覚えています。
右も左も分からない状態で練習が始まった頃は、ただ部活に行くだけで精一杯でした。家に帰って寝て、また部活に行く――そんな日々の繰り返しでした。練習では、聞き慣れない横文字でひたすら指摘を受け、何も分からない自分が恥ずかしくて、ただ笑顔で誤魔化していました。そんな中、ジョルさんに「いつもニコニコしてるな!今日からあだ名はスマイリーだ!!」と言われた時の嬉しさは、今でも心に残っています。その一言が、初めて自分が部の中で受け入れられたと感じられた瞬間でした。
夏休みの2部練の時、当時パートリーダーだった原さんがこう言いました。
「フリーセーフティーメンバーの今年の目標は、どのポジションでもいいから全員が何かしらのスターティングメンバーに入ること。」
この一言で、僕の秋大会の目標が決まりました。それはただ一つ、試合に出ること。
その目標を胸に、毎日必死に練習に取り組んでいました。当時の練習を振り返ると、正直なところ死ぬほどきつかったし、何の意味があるのか分からないこともありました。それでも、不思議と毎日が楽しくて、部活に行くのが楽しみで仕方ありませんでした。
秋シーズンが始まると、キックチームのスターティングメンバーに選ばれ、原さんとの約束を果たせたことが本当に嬉しかったです。それだけでなく、ディフェンスではローテーションにも入れていただき、自分の努力が報われたと感じ、胸がいっぱいになりました。
特に印象に残っているのは、初戦と2試合目でインターセプトを決めた瞬間です。緊張感と喜びが入り混じった感覚は、今でも鮮明に覚えています。この経験を通じて、自分にも自信がつき、さらに成長したいという気持ちが強くなりました。
大学2年生の新年。休みが終わって戻ってみると、部の活動停止が決まっていました。突然のことで、部の状況やこれからどうなるのか、僕には何も分かりませんでした。ただ、毎朝オンラインで行われるミーティングに参加し、たまに状況を聞くだけの日々が続いていました。
毎朝早起きしてミーティングを聞き、その後レポートを書く。それが僕の「部活動」となりました。しかし正直なところ、Zoomもレポートも好きではありませんでした。しかも、意味がよく分からない内容についてディスカッションをしなければならない。何が起きているのか、本当に分からないまま日々が過ぎていきました。
その一方で、そんな状況から逃れるように、さまざまな場所へ旅行に行ったり、遊びに没頭したりしました。湯水のようにお金を使って、いろいろな経験をしたのを覚えています。あの時は何をしていたのか分からないことも多かったけれど、振り返ると、あの時間も自分にとって意味のある経験だったのかもしれません。
部活動の再開が決まった時、僕の知っていた「ユニコーンズ」とは全く違う雰囲気が部内に流れていました。練習はとても息苦しく、以前のような一体感を感じることができずにいました。
そんな中、翌年1月に「All Japan」が開催されることを知り、そこで僕の新たな目標が決まりました。それは、チームの勝利のためではなく、自分自身が活躍するため。そして、自分が「All Japan」に選ばれるためです。
その日から、僕は練習外でのトレーニングにより力を注ぐようになりました。部の練習ももちろん参加していましたが、それ以上に自分だけのトレーニングに集中し、自分の目標達成のために全てを注ぎました。このとき、チームの一員としての自分ではなく、個人としての成長を最優先にしていたのを覚えています。
秋シーズンが始まると、チームが勝利しても自分のプレーに納得がいかない時は、何もできなかった自分が恥ずかしくて、素直に喜ぶことができませんでした。悔しさと自分への不甲斐なさを感じる日々が続いていたのを覚えています。
しかし、日大戦では誰もが「日大が勝つだろう」と思っていた試合で、チーム全員が最後まで諦めずに戦い、ギリギリの接戦の末に勝利することができました。その瞬間、溢れ出る嬉しさと安堵感に涙が止まりませんでした。チームで勝利を掴むことの喜びを、心の底から実感した試合でした。
でも、大学1年生と比べて結果を残すことができず、もちろん1月のAll Japanには選ばれることがなく、悔しかったのを覚えています。
大学3年生
春シーズンが始まる前に、またも部活動が休部となりました。そして夏になり練習が再開された時、4年生の大半が部を離れており、再び部内に息苦しい空気が戻ってきました。
再開後のミーティングでは、「日本一を目指すという目標を変えるべきか」という議題が話し合われました。その時のことを今でも覚えています。正直、何を言っているのか全く理解できませんでした。シーズン開始までまだ2か月もあるのに、なぜそんなに落ち込んでいるのか、僕には分かりませんでした。
しかし、ピンチこそチャンスだと考えました。ワイドレシーバー(WR)のポジションで人手が足りないと聞いた時、僕は「じゃあ僕がやります」と森川さんに直談判しました。こうして、WRとしての挑戦が始まりました。この決断は、自分にとって新たな一歩であり、今でも鮮明に覚えています。
最初は「ボールを取るだけのポジション」と思っていましたが、実際にはルートやリリースなど細かい技術が求められ、非常に難しく奥深いものでした。その一方で、覚えることが多く苦労したのを今でもよく覚えています。それでも新しいことに挑戦する楽しさがあり、少しずつ成長を感じていました。
秋シーズンが始まると、WRとして得点を決めることができ、自分の努力が報われた瞬間に喜びを感じました。しかし、元々のポジションであるディフェンシブバック(DB)では、満足できるプレーが何一つできず、とても悔しい思いをしました。
さらに、シーズン中盤には試合の途中で疲労骨折をしてしまい、そこから徐々に自分のプレーの質が落ちていくのを実感しました。シーズン後半になるにつれて、自分の力を思うように発揮できないことが本当に辛く、悔しさと焦りが入り混じった日々を過ごしました。
もちろんこの年もAll Japanを選ばれることなく終わってしまいました。
大学4年生
疲労骨折を治すために、医師から3月まで運動禁止を言い渡され、リハビリ生活が始まりました。それ以降、練習に参加する意味が見出せなくなり、部活を休む日が続きました。その結果、チームに多大な迷惑をかけてしまったこと、本当に申し訳なく思っています。
たまに練習に顔を出すと、他の選手たちが黙々とランニングトレーニングやフィールドトレーニングに励んでいる姿が目に入りました。その光景を見るたびに、何もしていない自分との差を痛感しました。「1日5時間の練習を3か月続けると約450時間。この差を埋めることはできない。むしろ日に日に差が広がるばかりだ。」そう考えると、自分が情けなくなり、部活に行くことすら辛くなっていきました。
気づけば、心の奥底から「もうやめたい」という気持ちでいっぱいになっていました。何とか踏ん張ろうと思っても、焦りと無力感が心を支配し、次第に自分自身を追い詰めていく日々が続いていたのを覚えています。
3月後半、早慶戦に向けて復帰を試みました。しかし、安静にしていたにもかかわらず回復は不十分で、さらに練習に出ていなかったこともあり、試合に出場することは叶いませんでした。その時、本当に悔しい思いをしたのを今でも鮮明に覚えています。
その後、再び怪我を治すためにリハビリに戻ることになりました。そこで決めたことがあります。「どうせリハビリをするなら、元の動きに戻すだけでは意味がない。もっと良い動きを身につけなければ秋のシーズンには出られないし、自分自身納得できる結果で終われない。」その思いを胸に、本気でリハビリに取り組み始めました。
怪我が治り、秋シーズンに向けて準備を進めていたものの、初戦前に自分の不注意で粗相をしてしまい、代ミーティングが二日間にわたって行われました。その中で、数人のメンバーから「退部すべきだ」と言われ、自分の行動が招いた結果だと深く反省しました。そして、ついに退部を決意したのを覚えています。
しかし、翌日、練習中にまえそうが直接こう言ってくれました。
「にわちゃんが退部になるなら、俺もやめる。だから本気で守りたい。」
その言葉を聞いた瞬間、自分の心の中で何かが砕けるような音がしました。喜びと感謝が一気に押し寄せ、そしてもう一度立ち上がらなければならないという強い決意が湧き上がりました。本当に心が救われた気がしました。まえそう、あの時の言葉、本当にありがとう。
その日の代ミーティングでは、佐々木、林、沼田、海道、長谷をはじめとする複数のチームメイトが、僕の退部に猛反対してくれました。そのおかげで、退部を免れることができました。本当に嬉しかったし、それ以上に、自分の行動が仲間に迷惑をかけたことへの申し訳なさで胸がいっぱいになりました。
それまでは、自分がどう活躍できるか、自分の結果だけを考えて練習してきました。しかし、その時初めて気づきました。自分のためではなく、この代の仲間たちのために、死ぬ気で戦い、チームを勝たせることが本当の使命だと。
その後、2試合目から試合に出場できるようになりました。しかし、試合前日になると、退部を阻止してくれた仲間たちの期待を勝手に感じてしまい、その重圧から緊張で全然眠れなかったのを覚えています。どんなプレーを見せればみんなの期待に応えられるのか、そのことばかりが頭を巡り、心が落ち着かない夜を過ごしました。
本当にこの四年間は、長くて辛くて、毎日「やめたい」という気持ちでいっぱいでした。それでも、続けて本当によかったと心から思います。
何より、自分がこの代で活動できたことを誇りに思います。そして、僕たちの代は笑顔の人が多くて、自然と明るい気持ちになれる素敵な仲間ばかりでした。
本当に、この代のみんなには感謝の気持ちでいっぱいです。心からありがとう。
残りちょっとの期間、死ぬ気で戦って日本一を目指そう!