創部/加盟:1935年/1935年
チームカラー:ネイビーブルー
部長:斎藤英雄
監督:前田 晃
主将:石塚大揮
副将:松本和樹、朝比奈孝達、森川慧
主務:和田拓士
慶應義塾体育会アメリカンフットボール部UNICORNSは、1935年当初、クラブ組織として発足した。
ハワイ大学出身の日系二世の船田敬一(ハロルド・フナダ)氏を監督に迎え、片岡恒一氏を主将とする総勢28名でチームは設立された。その中には、高校でのフットボール経験者であるアメリカ日系二世の3名(中上氏・今村氏・竹村氏)が所属していた。
1934年には立教・早稲田・明治が創部し、翌年の1935年にはそれに慶應・法政が続いた。同年、秋にはリーグに加盟し、東京五大リーグの一員となった。
1941年、太平洋戦争勃発に伴い、「フットボール」も適正用語の使用を禁じられ、「鎧球」(ガイキュウ)に改められるもリーグ戦は継続して行われた。
慶應UNICORNSの戦績は徐々に上位に入り、1942年の秋まで2位を維持した。
1943年から終戦の1945年までは部活動停止を余儀なくされた。
しかしながら、1946年には慶應義塾体育会への加入が認められ、活動が復活した年に慶應
UNICORNSは快挙を成し遂げた。東京六大学リーグ優勝に留まらず、第1回甲子園ボウル(東西大学王座決定戦)では、同志社大学に45対0で勝利し、初代学生王座に就いた。
また、1948年にも関西大学と戦い、14対7で再び王座に就く。
以後2年続いて関東制覇を果たし、甲子園ボウルに出場し準優勝を収めた。
戦争で多くの部員を失った戦後復興の最中での快挙は、後世に伝えられている。
1965年以降はリーグ戦中位にとどまることが多かったが、1988年、1989年、1990年、1993年と6年間に4回、関東選手権に駒を進めた。
しかし、あと1勝で甲子園ボウル復帰まで近づくも、涙をのむこととなる。
その後、チームの士気はやや下降し、1999年には一部6位、2部の防衛大学との入れ替え戦では敗北という結果に終わり、部史上初の2部降格を経験した。
しかしながら、翌2000年全勝で一部復帰を果たし、2005年と2006年と2年連続で一部リーグ2位からプレイオフを勝ち上がり、12年ぶりに関東選手権決勝まで駒を進めている。
常に関東トップレベルのチームを作り上げてきた慶應義塾体育会アメリカンフットボール部。
UNICORNSは、今年で創設89年を迎え、多くのOBOGの支えもありながら、現役部員総勢約150名でチーム一丸となり、1950年以来途絶えている甲子園ボウル出場を虎視眈々と狙っている。