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今年で引退をする4年生の「秋シーズンに懸ける想い」をご紹介致します。
こんにちは。4年DB、主務の和田拓士です。
僕はみんなみたいに面白い文章は書けないので、この学生生活を振り返って出てきた感情を率直に言葉に残したいと思います。少し長くなるかもしれませんがお付き合い頂けたら幸いです。
「辛かった。」
まだ引退もしていないのにこの言葉が出てくるのはおかしいかもしれませんが、15歳から始まったこのアメフト生活を振り返った時に最初に思い浮かんだ感情です。
高校1年生。普通部から始めたバスケ部は高校の朝練にでるには朝出る時間が早すぎるということで諦め、昔から怪我がちだった僕のことを心配する両親を説得し、アメフト部に入部しました。
高校2年生。ちゃんとした試合に出場できるようになり、案の定、春の県大会決勝で鎖骨を折りました。手術をして秋には復帰できたのですが、試合に出ることはできず、試合で活躍する同期CB長谷(4年DB/RB)の存在に焦りを感じたことを覚えています。
高校3年生。新型コロナウイルスの感染拡大によって春の大会は中止。引退がかかった秋シーズン直前の練習でまた鎖骨を折りました。なんとか復帰はしたものの、僕の高校最高学年としての初戦が引退試合となりました。
「大学こそは。」と思い入部を誓った大学1年生。上級生に混ざった初日の練習で肩を脱臼。その後もボールパンチやHit禁でのヒップタッチで度々脱臼したことに絶望し、手術を決意しました。
大学2年生。手術と自粛で春は何もできず、そのこともあって秋はほとんど試合に絡むことはできませんでした。
大学3年生。またも自粛。4年生の大半がいなくなり、3年生ながら自粛解除に向けて奔走しました。ポジションの変更もあり、この秋シーズンも思うような活躍はできませんでした。
高校からの6年間で実質3年間くらいしかまともにプレーできていないという、この大学3年生までを振り返ってもなかなかハードな人生を送ってきたと思います。
そんな6年間を過ごして、あっという間に大学生としての最終学年。僕の2024年シーズンは幹部に立候補したところから始まりました。
ラストシーズンを悔いのないものにするためにもこの不祥事続きの組織を良い方向に動かしたい。そんな思いで幹部に立候補しました。立候補した代ミで、お前に務まるのかと谷口(4年LB)や黒澤(4年WR)に詰められたのもいい思い出です。代ミで幹部をとして選ばれたのが今、幹部を務めている5人なわけですが、役職の決定には難航しました。主務を務めるとすればスタッフの慧か、性格的に僕か、MGRリーダーの新海かの3択でした。
代で選ばれた5人を優先し、かつ慧はオフェンスコーディネーターを任されるとのことだったので、ほとんど自動的に僕に決まり、残るは僕が選手をやめる覚悟があるかどうかのみという状況になりました。選手を諦めるかを真剣に悩んでいた時期に、指導陣から選手として主務に就くという新しい選択肢を与えてもらったものの、前例がないことから一部の同期や後輩スタッフからは心配と強い反対の声が上がりました。それでも自分自身の選手としての夢を捨てきれず、「選手として主務の役職に就くが、それによって部の運営に支障が出るのであれば選手をやめること」を条件として納得してもらいました。
それが僕の幹部として最初の覚悟でした。
『選手と主務の両立』
そこからはこれが僕のアメフト生活のテーマになりました。
「やっぱり選手が主務をやるなんて無理じゃん。」「はやく選手を辞めて主務に専念した方がいいんじゃない?。」
選手としての道を残してもらったものの、主務という役職に就いた後はそう思われてしまうことへの恐怖との戦いでした。部の運営が滞ってしまったら選手を辞めなくてはいけないというプレッシャーを抱えながらも、“ちゃんとまわっている“ように見せるため周りを頼ることもできず、ほとんどの作業を自分1人で抱え込んでいました。もちろん最初は書類の作り方やメールの書き方などわかるはずもなく、唯一の手掛かりの引き継ぎ資料とネットを使ってなんとかやっていました。
そんな状況でも組織はチームビルディングを進めます。チームビルディングはオフグラウンド面を担当することとなっていた自分の領域です。全然わからない部の代交代に伴う事務処理や、なぜか残っている前年度の書類や資料作成。それに加えてWGの運営、チームビルディングの構想、春合宿の計画、早慶戦を未来永劫繋ぐ会の企画などなど、、。もちろん選手としての練習やウエイトも欠かせません。正直パンクしていました。選手からは見えないどころか最初はスタッフにも頼っていなかったので、そんな苦悩は伝わるはずもなく、
「もっとやれるんじゃないか」「(組織の幹部として)どこにいるのかわからない」「その領域の担当なのに何をしているのか」
そういったことを言われることもありました。自分は頑張っているつもりでも周りにはどうしても伝わらないことが本当に苦しかった。心がもたなくてコーチルームで指導陣と擦り合わせをしている時に泣いてしまったこともあったし、家で半分鬱みたいになりながら作業を進めたこともありました。
そんな時に助けてくれた松本(4年QB)、MGR Unit、体育会で出会えたみんなには本当に感謝しています。後述にはなりますが、彼らには感謝の気持ちを伝えたいと思います。
就活を捨て、自分のほとんど全ての時間を部活に捧げていたからか(実際のところはラントレのタイムのおかげですが) “Effort”を重視してDepthを決定した春シーズンでは全ての試合にスターターとして名を連ねることができました。これまでのFootball人生においてほとんど試合を経験したことのなかった自分にとっては、試合に出ることができるただそれだけでも嬉しかったし、ディフェンスのスターターとしてフィールドに立てたことや、“試合勘“のような試合でしか得ることのできない何かを掴み一選手として成長できたことが本当に嬉しかった。加えて、チームとしては4年ぶりの春シーズンを不祥事なく、個人としては怪我もなく、無事走り切ることができたことも本当に嬉しかったです。
夏に入ると引き継ぎや公認団体申請など主務の仕事もひと段落つき、恒常的な仕事にも慣れ始めます。また、春シーズンを終え、2024シーズンの最初にたてた「選手と主務の両立」という目標も達成が現実的になっていることを感じていました。となると次に考えるのはその質です。
「次にもし自分たちの代と同じように選手が主務を務めることになった時、その子が選手としての夢を諦めないで済むように、自分が前例として主務としても選手としても結果を残したい。」
いつしかそう考えるようになりました。そこからの取り組みも自分としては何か手を抜いたつもりはありませんでした。練習も休まずアウトもせず、Repももらい、かなり濃い夏を過ごすことができたように感じます。
それでも届かなかった。
8月31日の早稲田戦。チームとしてもかなりの時間を費やし、自分自身も多くのチャンスをもらっていました。けれど結果は負け。自分もDEFのローテーションには入れず、限られたKickのみで出場。春の自分の状況とのギャップという要素もあったかもしれませんが、悲しいというよりも虚しさと悔しさが勝ちました。
この秋シーズン、自分はディフェンスのメンバーとしてはほとんど試合には絡んでいません。でもそれがTOP8という環境で戦うということだと思います。勝つために、ベストなメンバーで戦う。当たり前のことです。でも本音を言うと、悔しい。本当に悔しい。試合に勝つためのメンバーとして戦えないこと。あんなにチャンスをもらっていたのに掴みきれなかったこと。チャンスをくれたことに報いきれなかったこと。既に悔やんでも悔やみきれないことはたくさんあります。
ただそれでもチームは前に進まなければいけないし、幹部であるならそれを先導していかないといけません。それならどうやって自分を鼓舞して、やる気にさせるか。
「試合に出ていなかったとしてもチームの勝利が自分のおかげだと言えるほど、何かにPRIDEを持つ。」
結局はそれに尽きると思います。自分は「この部の活動を支えること」に誇りを持っているからこそ、勝った時には死ぬほど嬉しいし、負けた時は死ぬほど悔しい。チームの勝利は自分の勝利で自分のおかげだし、チームの負けは自分の負けだし自分のせい。そんな自己中心的な考えをしています。それがつまるところ、組織の所有意識みたいなところになるのではないでしょうか。
どんなことでもいいから、自分の役割がチームの今につながっているんだと誇りを持つこと。例えばMGRだったら「私たちがビデオ撮らなかったら振り返りできてないぞ」とか、「私たちが水作ってなかったら選手全員死んでるぞ」とか、そんなことでいいんだと思います。僕も「お前ら、俺がいなかったらそもそも活動できてないんだぞ」って思ってます。
「自分がこの部に不可欠な一部を担っている。」そんな感覚を持って自分の役割に向き合えたらもっとこのUnicornsでの活動が楽しく、尊いものになるのかなと思います。
長々と書いてしまいましたが、これがこの7年、特に最後に一年で僕が思った、考えた、感じたことになります。拙い文章にも関わらずここまで読んでいただきありがとうございました。
最後に感謝を伝えたい人たちに一言ずつ伝えられたらなと思います。
松本
一番に感謝しないといけないと思ってます。まずこのアメフトという世界に僕を引き込んでくれてありがとう。かずに誘われていなかったら絶対にアメフトっていう競技には出会えてなかった。幹部になってからは一緒のオフグラウンドの領域を見てたけど、WGとかのほとんどを見てくれて本当に助かってる。正直かずがいなかったら選手を辞める決断をしてたと思う。本当にありがとう。
石塚
君がサッカーをすごい盛大に応援したおかげで三田と日吉を何往復したかも、メールを何通書いたかもわからないし、最後まで素直に謝ることはできないままだったけど、この一年で成長したなあと思います。主将として出るとこはちゃんと出て(出させてたところもあるけど)ちゃんと頭としてできてたと思うよ。今でも主将で良かったのかはわからない時もあるけど、良かったと思うことにします。
森川
変な趣味があったり、変なところでパキッたりするけど、そのアメフトとチームへの愛は本当に尊敬しています。その熱量を間近で感じながら一緒に幹部をやれてよかった。ありがとう。
朝比奈
幹部が塾ユニばっかの中で考え方も似てるなか、コウタツが別の切り口を持ってきてくれて幹部としての意見に深みと幅ができたと思う。たまに本当に変なことを言ってる時もあったけど。今はしんどい時期だと思うけど、この2024シーズンが始まった頃のあの熱を取り戻してほしいと願ってます。
ラフィー
絶対に直接は言わないけど、実は一番尊敬してます。俺が主務じゃなかったらきっとDBリーダーに立候補してたと思うけど、俺だったらこのラフィーがリーダーだからこそできた今のDB Unitは作れなかったと思う。本当に尊敬してます。絶対に直接は言いません。
玉川
1番の努力家。尊敬はしてるけど残念ながらラフィーの次かな。実は1年の時から玉川はうまくなると思ってたけど、まさかここまでとは。WTも練習もストイックだったし、金属バットを振り回すその様はかっけえなって思ってたよ。でも最近君が知識をつけ始めた単語勝負では負けません。
林
高校2年の時に何とは言わないけど落ちてきて、あの怖い先輩が同級生になって、高校3年も一緒のクラスで、大学も一緒に続けてって、こんな仲になるとは高一の時には思ってなかった。今でも読めない情緒とあのパンチだけは本当に怖いままです。
シャフSafeties(沼田、丹羽)
君たちがお休みするせいで僕が過労死しそうになってたのは知ってると思うし、全然許さないけど、千葉も含めてこの4人でFSやってこれて良かった。このメンツだったから変な妬みとかもなかったし、自分自身Safetyとして純粋に成長できたかなって思う。後少しの期間だから休まず走り切ろうね。
長谷
塾高から同じCBでやってきたけど、今では俺ら2人ともCBじゃなくなってるね。なんででしょうか。高校の時からずっと隣で刺激をもらってたし、大学ではおとなしくなっちゃったところもあるけど、たまに出ちゃう熱いパッションに感化されてました。
澄川
この秋シーズン始まって、なんで試合に出してくれないんだって実はちょっと嫌いになってました。ただの俺の実力不足なのに。ごめんね。仕事量とパッションと尊敬するところばっかりです。試合に勝って、また2人で空港の足湯でも行こうか。
いっつも一緒に飲んでるメンバーへ。
1人を除いて全員かいてるんだけど、そのひとりが絶対拗ねるのでメッセージを送ります。みんながいてくれたおかげで本当に僕の精神状態が安定していました。本当にありがとう。またみんなで飲みにでもいきましょう。
千葉
時間の関係でちゃんと書けなくてごめんね。同じCBからSafetyに転校した身として勝手に親近感が湧いてたし、勝手に千葉には負けられないってライバル視してて練習のモチベーションになってました。ありがとう。結局ちばの方がSFも上手くなったね。夏合宿でどんどん上手くなっていく姿には親心じゃないけど、なんか感動してました。今年のDefense MIPは間違いなく千葉だと確信しています。あと、散々“浅い”とはいってきたけど、実はその熱い言葉に心動かされてたよ。個人的には2025シーズンは幹部か何かしらのリーダーに就いて、その溢れるパッションでみんなを引っ張っていって欲しいと思います。来年はDefenseのKey Playerとしてちゃんとmake playした後にムバッペ、見せてね。
北田
一番扱いづらい先輩だった俺をいじって少しでも絡みやすくしてくれたのが北田だと勝手に思っています。ありがとう。?、、。きっとこれまでの人生EASY MODEだった北田にとって怪我で何もできないこの時期が初めての挫折なのかなと思います。そこで腐らないで今できることを探して取り組めるのがなんだかんだ根が真面目な北田のいいところ。テーピング勉強するのも偉いけど、選手としての取り組みも怠らないように。来年はBig Play Makerとしてチームを勝たせてね。
あきお・横手
2人は自分たち4年に対しても臆さず意見や感情を伝えてくれたね。俺もその言葉や姿勢で幹部としての自分を見つめ直して、行動を改められていました。ありがとう。このUnicornsという組織がどれだけ良い方向に進めるかは2人にかかっているのかなと思います。(あきおは嫌がりそうだけど)勝手ながらリーダーとしても、選手としても、活躍する2人を期待しています。
あきお:軽量級Football Playerの星。ただ、体重を増やさなくてもいいのはあきおだけなので、後輩にはしっかりPhysical Upさせるように。
横手:2024年度の横手DEFENSEに戦力として貢献できなくてごめん。Dリーダーをやるのかはわからないけど、来年こそはDefenseの中核として躍動する横手を見届けたいと思います。
保科
高校の時は本当に好きじゃなかったけど、最後また一緒にやれてよかった。後ろに進むことが苦手な保科の適性ポジションがDBなのかはさておき、最後の塾ユニ産’02CBとして、個人的には最後までCBをやりきって欲しいなと願っています。
津久井・泉山
君たちは僕が新入生担当として面倒を見ていた代で、当時は練習後怒ったり、走らせたり厳しくしてたね。申し訳ない。その時の泉山の全く反省していない呆けた顔は今でも忘れてないよ。この前最後に話した時にも伝えた通り、実は君たちの活躍を一番応援しています。
津久井:一緒にFieldに立つという僕の目標は叶わないまま引退を迎えてしまいました。本当に後悔でいっぱいです。来年はSuper Starの名に恥じぬ活躍を期待してるね。
泉山:Punterはもう一流なんだから、DBの練習にもやる気だしてね。アサイメント系の頭の整理と眉毛の整理は気が向いたら手伝うよ。
MGR Unit
まず、僕が選手のまま主務に就くことを認めてくれてありがとう。仕事も何にもわかんないやつがいきなり自分たちの一番上にくるのはかなりストレスだったと思います。ごめんね。僕がうまく主務としてやってこれたのもみんなのおかげだと思います。特にひのみちゃんと新海。ひのみちゃんは振り込みとか黒帳とか俺ができない領域を本当に全部やってくれて、たくさん負荷をかけちゃったと思います。本当に助かりました。ありがとう。新海は嵐が丘グラウンドの管理を俺に押し付けたことだけは絶対に許さないけど、なんだかんだうまく仕事を回してくれて感謝しています。他にも一年生MGRsには終わりハドルを催促してばっかりだったし、タケシゲは一生体育会定期の案内流してくれなかったけど、みんなありがとう。次はご飯誘ってね、
ジンさん
代が変わって体育会本部から前年度の資料作成が終わってないので代わりにやってくださいって言われた時は本当に困ったし、今もギリギリ許していませんが、本当に部内に頼れる人がいなかった時に助けてもらって本当に感謝しています。僕は来年度の後輩には変な仕事を残さないように後少し、頑張ります。応援してください。来年主務をやる人も、ジンさんみたいに僕もできることは手伝うので気軽に相談してね。
ゴースケさん
僕がアメフトを始めた理由の一つがゴースケさんでした。普通部バスケ部から、塾高、大学(?)とお世話になりました。本当に感謝しかないです。“しかない”は嘘ですね、でも尊敬はしてます。ありがとうございました。ちなみに#5にしたのはゴースケさん由来じゃないですよ。今何してるんですか?飯連れてってください。話したいことたくさんです。
妹尾さん
自分が7年間やり切れるほどにアメフトを好きになったのは、このスポーツに出会って、最初にアメフトというものを教えてくれた人が妹尾さんだったからだと思います。ありがとうございました。最終的にCBからFSにコンバートはしましたが、妹尾さんに鍛えられ、褒められた基礎があってこそFSでも何とかなったのかなと思います。妹尾さんに散々いじられた座高の高さはバレないまま引退を迎えそうです。ご飯、企画します。みんなでいきましょう。
相馬さん
きっと覚えていないと思いますが、僕の高校の引退試合の後、相馬さんと話した時に「和田が副将をやってくれてよかった」といってもらえたことが今でも自分の支えになっています。当時は怪我もしていて副将としてちゃんと組織の役に立てていたのか自分ではわからなかった中でそういった言葉をかけてもらえて救われたような気がしたし、自分でよかったんだと素直に思えることができました。ありがとうございました。
体育会のみんな
引き継ぎとかいろんな申請とか、結構自分のメンタルがやられてた時に、他の部活で頑張ってるみんなに会えて刺激をもらったし、みんな頑張ってるんだって知れて自分も頑張ろうと思えた。本当にありがとう。みんなの試合とか見に行けるなら全部行きたいって思ってるし、引退した後もきっと長い付き合いになると思うけどよろしくね。
本当はもっと書きたいんだけど、校閲の時間が迫っているので一旦ここで終わります。あとからまた編集できるみたいなので、いつか時間が許せば足そうと思うのでまた見てね。
(※追記しました!!)
本当に一番最後に。自分の引退が近いことを実感するにつれて、「自分は何かこの部に残せたのだろうか」「自分がこのチームの幹部で良かったのだろうか」と考えることが増えました。
正直僕にはわかりません。それは来年度以降のみんなが判断することです。僕のこの1年間の取り組みやこのブログが誰かの、何かの役に立てばいいなと思います。
あと少ししかみんなとアメフトできないけど、この2024シーズン、みんなで走り抜けよう!!